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棺を蓋いて事定まる(かんをおおいてことさだまる)


 住職 干坂げんぽう


樹木葬説明会にて
 十一月上旬に風邪気味になり、喉のいたみ、鼻づまり、胸のだるさといった症状が出た。関節に熱があるような状態は二、三日にすぎず、しかも痛みを感じるほどでなかったのでタカをくくっていた。しかし、風邪声と倦怠感はなかなか取れず、ホームドクターのH医師に点滴を受けたりして、短大の授業や寺務を何とかこなした。

 風邪は万病の元と言われるように、私が九年前、脳内出血を起こしたのもこのような体調の時だった。免疫カが低下すると、ウイルスや細菌に抵抗カが無くなり、血圧も高くなる。今回の風邪は十二月十日頃になって治ったが血圧はまだ下がらない。

 「風邪の時は何も考えずのんびり静養するのが一番」とH医師に言われるが、こんな時に限って面倒な事案が起きる。

 それは樹木葬墓地契約者の野村耕作氏(仮名)が亡くなったことを親戚の人が告げに来たことから始まった。施設にいた野村氏の遺言に樹木葬墓地に埋葬するようにあったので来訪したとのことだった。「野村氏は既に墓地に関わる全額を支払っているので、埋葬にはお金がかかりませんよ。」と述べると安心して帰った。間もなく埋葬に来るだろうと思っていたところ、野村氏と十年以上も別居していたという戸籍上の奥さんが出てきて、「墓地を解約するので五十万円を返して欲しい」と言う。

 「この墓地は野村氏個人と契約したので、奥さんと言えども勝手に解約できません。また、使用契約なので使わないとなるとその区域を返していただくことになる。」と述べ帰ってもらった。その後、親族同士で相談があって、奥さんが遺骨を引き取ることになったらしい。しかし、野村氏の遺骨を引き取ったのは、樹木葬墓地以外の墓地に埋葬するためで
はなさそうである。

 なぜなら、再度妹夫婦を伴い祥雲寺にやって来た時の発言に、別の場所に埋葬する具体的語は全く出なかったからだ。「遺族の権利を認めない樹木葬の約款はおかしい。」と主張し、野村氏の生前の行状を悪し様に述べ、お金で苦労させられてきたことを強調し、解約してお金を取り戻そうという熱意だけがギラギラしていた。死者へのいたわりの言葉は全くなかった。

 かつて野村氏夫妻に何があったかは知るよしがない。ただ、施設にあった野村氏が、戸籍上の妻に世話にならずに死後を決めたいとし、契約して安堵したことだけは事実である。その時、酸素ボンべを引きずりながら、にっこり笑った姿を見た祥雲寺の職員の言葉は重い。「あの安心したような姿は印象的だった」と。

 「晋書」劉毅列伝を引用した杜甫の「君不見、蘇径に簡す」詩で知られるようになった「棺を蓋いて事始めて定まる」という状況は、昨今、簡単に実現できなくなっている。野村氏は、契約後すぐに亡くなる様子には見えなかった。そのため、自分の死後の埋葬を祥雲寺に託す委任状を作らなかった。

 自分の死後を自分で決め、実行に移すことが出来るのが樹木葬墓地だが、それを確実にするためには民法上の手続きをしておかなければならないのだ。遺産相続を有利にするために、遺骨を引き取ろうとすることも間々ある時代だ。野村氏の願いを実現するために、家庭状況などを聞いておくべきであった。これを教訓として、平成十六年は、契約者の死後への思いを確実に実現するために万全を期すよう努める所存である。


樹木葬通信 2004年1月1日発行 VOL.17より




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