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儒教の光と陰 - ソウル体験記


 住職 干坂げんぽう

 今年は東京と同様、一関でも久しぶりの暑い夏になった。それでも最低温度がセ氏二十五度以上になることはほとんどなく、寝苦しいと感じた夜は一日しかなかった。寒気が入り込みタ立があったお盆からは、午後三時を過ぎるとめっきり涼しくなった。
 寒さより適度な暑さが体調維持に好都合の私にとって、誠に過ごしやすい夏だった。その上、棚経 (お盆の檀家回り)を徒弟である二男と三男がやってくれたので、身体を酷使しなくてすんだ。

 一昨年に脳の手術のため棚経を休んだ名誉挽回という気持ちで、昨年は勇んで檀家回りをした。気カは十分だったが、体カの衰えを反映してか秋口に風邪を引いてから体調が思わしくなく、とうとう年を越した二月に入院する羽目に陥った。その後、回復したが無理は出来なくなったことをひしひしと感じさせられた。


ソウル郊外、南山にて(左は権来順さん)
 そのような経緯があるため、ここ数年続けている八月末の妻との旅行も、今年は私が運転して疲れないこと、たっぷり歩くことが出来ることを重視し、ソウルを二日間ゆっくり見学しようということになった。案内は聖和学園短期大学で来年から講師として勤める予定の権来順さんにお願いした。

 ソウルでは樹木葬墓地に活かすための研修目的もあり、積極的に韓国文化を学んだ。また、移動も徒歩、地下鉄、巡回バスなどを使いやむを得ない時だけタクシーを使用した。
 ソウルで得たことは十月三十日に仙台で行う発表「「杜の都」の寺社景観」にも取り人れるが、それ以外にも多くのことを学んだ。 国立博物館に行く途中の公園では、木陰でお年寄りたちが数グループ、象棋-ザンキ(日本将棋とは異なり中国の象棋と同じもの)を指していた。私は象供のルールを知っていたので、しばらく観戦したが、棋カは日本的な段位で言えば五〜六級というところで、「待った」「いや待たない」のやりとりがあり、日本では見られなくなった庶民的なへボ将棋の世界が展開され、ほほえましく感じた。

 一方、東北大学で博士号を取得している権さんが樹木や鳥に全く無関心なのにはうなずく点があった。そのように身近な存在に無関心なのは権さんだけではなかった。韓国では高学歴者のほとんどが博物的な関心を持たない。どうも、これは儒教的な文化が影響しているようだ。

 元来、孔子の始めた儒学は、六芸という教養種目を重視し、多彩な才能を発揮できるマルチタレントを可とした。その中で、礼、楽は儒教に発展してからも重んじられたが、弓を射る「射」、馬車を御する「御」、書き記す「書」、計算する「数」などの実学的なものは、高級官僚が扱うものでなく、下級官吏が担当するものとして、 一段低いものとして見られるようになる。軍隊を指揮するものは、必ず科挙に合格した文官なのである。儒教が国境となった漢代から二千年、その傾向は変わらなかった。

 早くに儒教を取り入れた朝鮮半島の歴代王朝は、儒教だけでなく仏教も重視したが、西暦1392年に李成桂によって建てられた李氏朝鮮では、儒教が国教となり仏教が排斥された。その結果、儒教の本場中国よりも、純粋に「孝」の実践(親孝行を第一に考える)が重視されることとなった。
 中国では南宋時代に朱子(1130〜1200)が出て、儒教は新しい展開をした。以前の五経重視から『論語』『孟子』『大学』『中庸』の四書を重視するようになった。

 「大学」(元々は『礼記』の中の一編)では「知を致(いた)すは物に格(いた)るに在(あ)り」として、天下を治める明徳の士は、知識を完成させなければならないが、そのためには物(対象となる事物)の原理、本質を正しく把握することが必要と説く。
 「易」などで伝えられてきた「気」(物質を構成する原子みたいな存在)からなる「物」を知ろうということが即ち、「格物致知(かくぶつちち)」なのだから、朱子学の登場は実学興隆を導き出す可能性があったといえる。しかし、残念ながら、儒教的世界での「知」は、「孝」の実践で必要な礼法を知ることに偏(かたよ)った。

韓国民俗村で

 このように高度の教養を積んだ支配者たちが「あるべき知識」の概念を独占した中国、朝鮮と異なり、日本では支配者が武士であったこと、仏教の影響カが強かったことなどにより、「知識」が一部のものに独占されなかった。成り上がりの織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの貴種ではない人々は、儒教などの形式尊重とは無縁だったから、新しい世界の知識を貧欲に取り入れることが出来た。教養は無かったが好奇心は旺盛だったのである。彼らのおかげで、日本では技術(武カも含む)が尊重され、いち早く近代国家に生まれ変われる素地を作った。

 現代の日本人も書物、テレビ、インターネットなどあらゆる媒介を通して、旺盛な好奇心で物事を知ろうとする。しかし、雑音と化しつつある氾濫する情報に振り回され、何を大事にすべきかを見失っているように思われる。ソウル最後の晩、権さんの紹介でお会いした韓国中央選挙管理委員会の高選圭教授とは、おおいに日韓の文化について語り合えて有意義であった。高教授も東北大で学んでいるので、同窓の先輩として私を扱ってくれた。目上の人に対するマナーの良さは、やはり儒教により形作られたものであろう。儒教の弊害は指摘されて久しいが、日本人が失った美徳を韓国で残している面は見習うべきである。いろいろと学ぶことの多い旅行であった。




樹木葬通信 2004年9月15日発行 VOL.21より




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