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真の豊かさ


 住職 干坂げんぽう

 還暦の今年、知命(五十歳)の時とは一味異なった区切りの感慨で正月を迎える。

 孔子は、時間的、空間的に限定されている我が身を認識する(「命を知る」)のが50歳だという。孔子を尊重した中岩円月を研究対象にしたことで、私も、自らの寿命と使命を知る時期としての50歳をかなり意識していた。その矢先の49歳、脳内出血を起こした。短大の専任教授を辞め(特認教授として授業だけを受け持つ)、樹木葬墓地実現に本腰を入れたのも、病気という天命が下ったからといえる。


完成直前のあずまや(樹木葬墓地内)
 早いもので、それから10年。後半期は樹木葬墓地の開始、脳下垂体の手術など、画期的だった。その中で、里山の整備を通し、一関の「真の豊かさ」を知り得たのは最大の収穫だった。

 私たちの少年時代は貧乏が当たり前で、モノの豊かさは実現しにくい願望であり、「大志」として是認されていた。結果として金持ちの仲間が出来てもさほど羨望せず、貧乏仲間を卑下することもなかった。高度成長期からモノと情報が溢れる時代となったが、私たちの世代は、団塊の世代と異なり、流れに翻弄されることの少ないことが特徴といえる。しかし、その反面、モノに拘る人などに寛大だったことを反省しなくてはならない。いつの間にか、人間関係をモノの尺度でしか語れない人々が排出されてきたことに無頓着だったからである。精神科医の大平健氏は、そのような人を「モノ語りの人」として紹介する。
 (『豊かさの精神病理』岩波新書)

 ブランドでしか個性を主張できない人々の愚かさは、「列子」説符篇にある「多岐亡羊」を思い出させる。多くの情報(多岐)の中で、選ぶべきモノ(羊)さえも確立せず振り回され惑う姿は、羊を探しに行く選択の自由を失って泣き崩れる『列子』との村人に比べ、はるかにレべルが低いと言わざるを得ない。

 このような危機的状況下で、宗教人の果たした役割も猛省させられる。バブルの崩壊と共に「モノよりも心の時代に」ということがよく言われた。分析的、相対的な価値基準を嫌うのが仏教の本質なのに、モノとココロを二元対立的に見る軽薄的な言説が宗教者の多くに見られたことは誠に残念なことだった。モノの中にココロを見ることの方が大事なのではないか。

 「足を知る」ということは、少ないことに甘んじろということではない。今、我が足下にある情況の豊かさを発見し感謝することにある。樹木葬墓地の里山は、高尾山や成田山のような良さはないかも知れない。しかし、彼地にはない別の生態系の豊かさがある。白神山地のようなブナの原生林はないが、シイタケのホタギにするために伐採した後に残るブナと共にあるコナラ、ミズナラ、アカシデ、ウリハダカエデ、ヤマモミジの雑木山は、一関ならではの素晴らしさがある。

 「天地と我と同根、万物と我と一体」(『碧巌録』)であれば、里山の樹木を見つめることは、自己を見つめることにもなる。「木を見て森を見ず」は大局を見失う危険性を戒める格言であるが、私は「木さえ見ない」昨今の風潮により大きな危惧を抱くのである。




樹木葬通信 2005年1月1日発行 VOL.23より




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