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飛鳥の古墳に思う


 住職 干坂げんぽう


明日香村・甘樫の丘にて
 二月二十七日(日)、爽やがな晴天の下、飛鳥資料館前。明日香村をレンタルサイクルで回る時の随伴をお願いしていたYさんが待っていた。私は下見をしているが、土地鑑が十分でないため、少々道案内に不安があった。(案の定、一度逆方向に行こうとした) Yさんは大変寒いと言うが、それでも日中の予想最高気温が七〜八度。最低が氷点下四〜五度、最高が一〜三度の一関から来ると春彼岸頃の気候にあたりホッとする。梅も咲き、何しろ雪が全くないのが嬉しい。こんな中、団体二十名中の八名とYさんの九名で、レンタルサイクルに乗り、快適に古墳や遺跡巡りをした。飛鳥川の水を利用した日本最古の水時計跡「水落遺跡」、欽明天皇陵、文武天皇陵など、樹木葬墓地と問題意識がつながる場所が私のねらいである。

 今回の旅行では二十五日に京都の鞍馬山から貴船にかけて歩いた時、ツゲなどの常緑樹を中心にした極相林に出会った。天皇陵も現在では見事な極相林となっている。古墳は、それを造営した権カ者の末裔が樹木を厭わなかったことを示す格好の材料である。旅行の当初に極相林に出会い、その性質を説明出来たのは幸いであった。

 古墳は大化二年(六四六)に発令された「薄葬令」との関係で議論きれている。「日本書記」に載るこの条文は中国の法令そのままの写しであるが、古代史や考古学の学会ではこの条文が守られたかどうかが論点になっている。特に薄葬令で決められた陵墓の大きさに関心が向くのは、宮内庁が天皇陵と比定されている古墳発掘を認めていない現在止むを得ないと言える。

 しかし、現今の古墳研究は広い視野からの論点で切り結ぶことに欠けていると思われる。私が重視するのは、「墓に木を植えるな」という薄葬令の文言である。樹木葬墓地を始めた和尚ならではの視点であるが、中国や朝鮮半島では、陰陽五行思想の「木克上」(木は根を張って上をいじめる)により、墳墓には樹木が生えないようにしている。ところが、日本では樹木を敵視するような行動が見られないのである。(この面を学問的に追究することが重要ではないか?)

 「日本書記」は中国に向けて、「日本も文明国と同様のシステムで律令制度を行っています」と表明するために作られた文献といえる。従って、その後の墳墓が薄葬令に合っているかどうかを問題にするのだけでは、ピントがぼけた論争と言わざるを得ない。

 古墳の衰退と消滅は、山折哲雄氏がつとに述べるような「仏教」「火葬」との関係で見るべきであろう。それよりも、古墳が投げかける大きな問題点は、その後の古墳の維持状況をどう見るかということではないか? 日本人の根底に横たわる「山中他界観」は民俗学だけの問題とするわけにはいかない。

 樹木葬墓地は「二十一世紀の古墳」「志を同じくする庶民の眠る古墳」「常緑樹ではなく落葉樹の古墳」という全く新しい理念を持つ。樹木や日本人の自然観にルーズな墓園業者が、評判になった「樹木葬」という名称を安易に使うことは止められない。良きにつけ悪しきにつけ資本主義、自由主義の枠組みは受け人れざるを得ないのだ。

 しかし、宗教者や業者が、理念もなく評判になった「樹木葬」を自己の目的だけに利用することは、皆さんのご支援で止めることが出来るのではないか。マスコミの影響も大きいが、口コミも無視できないのが現代社会の有り様である。

樹木葬の亜流が出てきた今年こそ、樹木葬墓地が試される時といえる。皆さんのご支援をご期待申し上げます。



樹木葬通信 2005年3月20日発行 VOL.24より




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