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平泉の景観


 住職 干坂げんぽう

 「NPO法人 葬送を考える市民の会」(札幌市)の一行が花巻空港経由で樹木葬墓地見学にやって来た。「朋遠方よりきたる また楽しからずや」ということで、私は平泉の毛越寺で待ち受け、平安時代に造られた浄土庭園で有名な毛越寺と、源義経滅亡の地といわれる義経堂(現在の研究成果では滅亡の地は衣川であろうとされる)を案内した。

 最高気温が三十度になることが予想された強い日差しの中、毛越寺では、浄土庭園で開催中のアヤメ園を眺め、曲水の夏を復元した水遺りと大泉ケ池の醸し出す平安風の水辺空間を案内した。義経堂では、眼下に流れる北 上川、月の出る束稲山(たばしね)から観音山への北上山地の山並み、日の沈む関山から金鶏山への磐井丘陵、これら奥州藤原氏が好んだと思われる景観を説明した。平泉の遺跡は、いずれも、これらの素晴らしい遠景を楽しめる場所にある。

毛越寺大泉ケ池

 最近の平泉研究は、「柳の御所遺跡」の発掘調査などで著しく進展しているが、美しい景観づくりは全く論外で、汚い遠景のままである。バラバラな色彩を持つ家並みと、視野を隠す間伐していない杉などの樹木。これでは西行や芭蕉が浸った感慨を追体験することなど出来そうもない。
 
 樹木葬墓地が認可された頃、遺跡保存のため河道を付け替えた北上川に新しい高舘橋が造られることになった。すると、新高舘橋が景観を台無しにするとして、反対運動が起きた。かつて遺跡保存に係わったからか私にも運動に参加するよう勧めがあった。しかし、話を聞くと、遺跡を残すために闘ってきた経緯を知ろうともせず、芭蕉の眺めた景観が橋で壊されるのが問題だという。どうもその人は、景観を狭い視点で捉えているようだった。

 確かに国土交通省の川づくり、道づくりは環境、景観を従前より配慮するようになったものの、コンクリート信仰や直線を美とする考えなど、コアの思想は変わっていない。したがって、絶えず美しい景観とはどのようなものかを問題提起することは良いことである。

 しかし、橋の存在以上に大きな位置を占める全体の景観に目を向けず、橋の景観のみを問題にするなら全く不毛の議論と言わざるを得ない。行政の政策に注文をつけるだけでは、問題は解決しない。

 一関地方で合併問題があったとき、平泉町では平泉市という名称でなければ合併に参加しないという動きがあった。平泉文化に誇りを持つのは良いが、六万人の一関市と一万人弱の平泉町との生活のあり方を見つめない偏狭なナショナリズムでは、肝心の文化が育たないと私は主張した。

 平泉駅前から毛越寺までの道路沿いには、資金カがある銀行などが、古都にふさわしい色調の一見古い民家とまがうような店舗を構えている。しかし、それ以外の店舗、住宅は古都の情緒を醸し出すために協カしようとする気持ちが全くないようだ。

 道路脇の植生情況は、建物以上に平泉町の「文化度」を示す。進士五十八氏(前東京農大学長は、「樹木は建物の欠陥を隠す」(日経新聞)と述べているが、平泉はその正反対だ。道路沿いのソメイヨシノ並木もどうかと思うが、その根元は帰化植物フランスギク、ヒメジオンのオンパレードだ。ソメイヨシノの並木が終わると、まもなく二セアカシアの大群落が続く。毛越寺、中尊寺といった観光スポットだけが椅麗であれば良いのだろうか。

 自らの生活する場を深く見つめることなしに、地域の発展はない。毛越寺だけが平安時代の植生を守り、他は帰化植物だらけという現状では、リピーターは育たないのではないか。美しい自然の復活を願う気持ちを強くした平泉案内の一日であった。



樹木葬通信 2005年7月25日発行 VOL26より




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