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 住職 干坂げんぽう

 「意余りて 言葉足らず」自分の表現カ不足を自認するもっとも適切な言葉である。


河畔林を歩く様子(秋の間伐研修にて)
 学生時代から、国語、英語、図画といった表現と係わる科目が好きになれず、勉強しな
かったため、情報化の時代を迎え困っている。
 表現カ不足を補うために、早口で言葉を多く繰り出すようになった。ある人は、このような多弁を以て、論客と称するが、買いかぶりもおびただしい。与えられた時間内に、自分の主張をまとめられないため、言葉が多くなるだけなのだ。
 
 このような欠点を直そうとするのだが、一つの構想が浮かんで実践に移るや、また、別の考えが浮かびと言う具合で、じっくり一つに取り組む事が出来ないでいる。寺の仕事、短大の授業、NPOの活動と、行動を分散していることが悪いのかも知れない。

 このような性格だから 「維摩(ゆいま)経」での「維 摩の一黙」にあこがれるのかもしれない。文殊菩薩などを論駁する維摩居士だが、最大の表現が「黙」というのは驚愕だ。

 鹿野苑(ろくやおん)での、釈尊とかつて苦行を共にした五人との出会い、いわゆる「初転法輪(しょてんぽうりん)」でもていることが悪いのかもしれない。釈尊の内面から出る凛々しさが、最大の説法だったのだろう。思わず拝みたくなるという経験は誰にでもあることだ。私は自然に対しそのような感慨を抱くことが多いが、偉大な人格は偉大な自然に匹敵するのだろう。

 自然の中から仏法の真理を見いだそうとする「無情説法」は、樹木葬墓地を媒介にして活動する知勝院のテーマでもある。自然から学ぶことは難しいが、自然の色や声から色々知ることは出来る。

 秋の間伐研修で薬師岳に登山し、その帰り、岳川沿いの滝を見ることになった。車を降り、河畔林を歩くと、セミの鳴き声が聞こえる。エゾゼミに似ているが少し違う。時期的にこれはコエゾゼミだと確信した。四〜五年前、須川登山の際、山頂近くの稜線でコエゾゼミを拾った経験が生きた。それはメスだったので、鳴き声は初めての出会いだ。
 私は興奮を抑えながら、このセミの事をみんなに紹介したが、全く無反応だった。単なる虫の音でなく、滅多に出会うことのないセミの声として聞かなければ、感動にはつながらない。エゾゼミさえ知らない人に、コエゾゼミのことを言っても分からないのは当然だ。

須川山頂近くの稜線

 この感動は全く正反対の世界を思い返させた。それは、青森県「束奥日報」の記者s氏と飲みに行ったとき青森市のスナックで出会った聴覚障害を持つ美女ホステスN嬢のことである。彼女は、私の口の開きで、発言を理解しようとするのだが、早口で口をはっきり開かない私の話し方は理解できないという。このときほど自分のしやべりを反省したことはない。

 聴覚障害者と触れ合うことのなかった私は、音のない世界に生きる人々の事を、我が事のように感じることはなかったのだ。彼女との短い出会いで、私の音に対する感受性は大分変わったように思われる。
 耳が遠くなり、単語が出なくなり「アレ、アレ」と連発する年頃になった。それ故に、かえって、自然の発する音の意味、人々の発する苦悩の声に鋭敏にならなければと思う。

 唐代の天才詩人李貿は、様々な人や自然からの「哭」を歌い上げた。彼の音に対しての鋭敏性は驚くべきものがある。神に捧げる紙銭が燃えて突風に音を出す様を次のように詠う。

 「紙銭は窯率(しっそつ、めらめらと燃える際の音)として、旋風に鳴る」

 彼ほどの感受性、表現カは諦めるとしても、音を声として受けとめる感受性だけは持ち続けたいものだ。



樹木葬通信 2005年11月5日発行 VOL.28より




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