住職 干坂げんぽう
久保川は面白い川である。
知勝院近くの川底を見ると分かるように、上流は岩盤の上を流れているが、川沿いの市道との高低差はあまり無く、容易に川に入ることが出来る穏やかな様相をしている。
ところが、ログハウス悠兮庵近くに来ると須川山麓からアップダウンを繰り返してきた磐井丘陵地帯が、川の行く手をさえぎるように立ちはだかってしまう。
厳寒の2月、作業の様子 |
このため、中流地帯はあたかも急峻な源流地帯とまがう景色となる。特に「霜後(そうご)の滝」から下流は地元の人もほとんど歩いたことがないという一帯だった。
この地域の素晴らしさを発見したのは、久保川流域の景観、生態系を調査したときのことだ。墓石の代わりに低木類を植える樹木葬墓地にとって、この一帯の生態系を理解することはもっとも肝要なことなので、干葉喜彦氏と共に崖をよじ登り、薮をこぎ、岩場を伝って渡河し調査をした。
平成十五年十一月上旬の寒い一日、時は午後一時半を過ぎていた。渓谷の出口、岩城砂防池までの地形図は頭の中にあるので、日没が早いというスタッフの心配を押し切り調査に向かった。
ところがあまりの藪の深さに音をあげ、崖の獣道を探しながら川筋を下っていくという羽日になり、時間がかかり、日没になっても日的地に到達出来なかった。
心配したスタッフから時折携帯電話に連絡があるのだが、急峻な崖のせいで、電話が良くつながらない。二時間以上を費やし、スタッフと落ち合った時は、真っ暗になっていた。
この困難な場所を歩きやすくしたのは、刈り払いの依頼をしたHさん。平成十六年に延べ五十日かけ、一人でこつこつと作業をして、春、秋の研修でトレッキングコースとして使えるようにしてくれた。
今年の冬は、コース出発点近くの河畔林(約七千五百平方メートル)を所有者二人から買い受け、間伐をしている。雪がある中に作業をしないと眠っている山野草の種に影響を与えるからだ。この時期は、たき火をしても危なくない。
また、ここには作業小屋(略称・・空中四阿)とトイレを作りつつある。新緑の河畔林で里川(里山に隣接する小川を今後この名称で呼ぶとにする。)を眺める。なんと賛沢な楽しみではないか。
樹木葬通信 2006年3月10日発行 VOL30より
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