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遷移の「気づき」


 住職 干坂げんぽう

 知勝院の祝賀会が無事円成し、会計や各方面への御礼を終えた八月ニ日から五日まで、須川高原温泉自炊部に宿泊することとなった。

 この行動の発端は、ファイバーアーティストとして海外などでも著名な石田智子さんが祝賀会に参加したことによる。久しぶりでお目にかかったので、寺庭などと新幹線の出発時間まで一ノ関駅前でタ食をとることになった。

 会食中に彼女は携帯電話を取り出し、夫に帰宅の時時間などを話し始めた。用件が終わったと思われた時、彼女は突然私に携帯電話を渡したのである。「宗久が出て欲しいぞうです。」

須川岳への登山道

 智子さんの夫は芥川賞作家で福島県三春町福聚寺副住職玄侑宗久氏である。今年一月に対談を行い、「対談集を祝賀会までには出したい。」と私が言ったことに対する状況確認だった。私はとっさに「八月中には何とかします。」と答えた,既にテープ起こしの原稿は手元に来ていたから、三〜四日間、集中すれば宗久氏に元原稿を渡せると考えたのである。今までは、祥雲寺先住のニ十三回忌と知勝院祝賀会に気を取られ、対談集に取り組む気持ちになれなかったたのである。

 玄侑氏の「叱責」によって、私は山ごもりをすこととなった。須川は携帯電話がつながらないので、仕事に集中するには好都合だ。自炊部だが朝晩の食事は、自炊部専用の食堂を利用すれば食事の準備をせずにすむ。医者に厳しく指導されている食後の散歩も快く実践できる自然に恵まれている。その上、かけ流しの硫黄泉は何度でも入浴可だ。

 このような環境だからか、毎日四、五時間の睡眠で仕事を続けても早朝血圧がすこぶる正常なのである。決まった時間に塩分少なめの食事、適度な運動と適度なストレス(宗久氏への約束)、リラックス出来る環境、これら日常如何に行われにくいかが分かる。

 八月三日には今年初めての須川岳山頂への登山を行った。往復七・四キロメートルを三時間で踏破したので、まだまだ体力が落ちていないと思ったが、あに図らんや翌日から足の筋肉が痛くなり、運動不足を思い知らされた。毎日の積み重ねを怠ると、かほどに体力は落ちるものなのだ。
 須川の稜線では、今年も釣リ鐘状の澄み切った青のハクサンシャジンにお目にかかった。毎年、色の付き具合に注意が行っていたが、今年ば別な変化に気が付いた。稜線の始まりである天狗平では明らかにハクサンシャジンの群落が増えているのである。かつては一緒に群落を作っでいたタカネアオヤギの姿が見えない。
 
 一方、樹木葬墓地ではハクサンシャジンの同類・アオヤギソウがヤマジノホトトギス、エゾアジサイなどと夏の終わりを彩り、オクモミジハグマ、ホツツジなどの初秋の花と入れ替わろうとしている。まさに、「四運 花自ずから好し」(寒山詩)だ。
 しかし、かつて「見れども観えず」という世界を教えてくれたタカネアオヤギが稜線に見えないことは何を物語るるであろうか。私たちは「花を観るものは老いを知らず」として、花自体の美しさに心奪われ、生態系の遷移を見落としがちである。
 私たち人間が作りだした登山道、そこを舞台としたハクサンシャジンとタカネアオヤギの生存競争。美しいからと言ってハクサンシャジンだらけでも良いとは言えない。自然と人問との関わりは誠に微妙だと感じざるを得ない。私たちの一挙手一投足は生態系保全と大きく関わっていることを教えられた須川の四日間だった,



樹木葬通信 2006年9月1日発行 VOL33より




長倉山 知勝院
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