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猛暑に思う


 住職 干坂げんぽう

 今年はぺルー沖でラ二ー二ャが発生したという。赤道付近の海水温が下がるこの現象が起きると、対流によって、フィリピン付近の海水温が上がり、太平洋高気圧が発達するとし、気象庁は長期予報で今年の夏は高めの気温に推移すると発表した。

 ところが七月に入ると梅雨が長引き、今度は、今年の夏は冷夏という予想に切り替えた。確かに、北東北の梅雨明け宜言は八月一日だったので、訂正した予報が的中したかに思われた。

 しかし、一関の場合、七月二十三日から梅雨が明けた情況となった。私は私的に梅雨明け宣言をした。アブラゼミ、、ミンミンゼミ、が一斉に鳴き出し、気温が三十度以上の日が続いたし、天気図から見ても確信できた。

須川岳山頂にて
 梅雨前線は朝鮮半島から新潟付近まで続き、本島内陸部で切れ、鹿島灘沖でまた発生している変則的なものだった。このようなときは、ヤマセの勢力が弱く、オホーツク高気圧が送り出す冷気は、北上高地を越えにくい。一関が連日ニ十七度から三十度の気温なのに、太平洋に面する宮古市などは十七〜二十三度の最高気温という気象条件の差は、オホーツク高気圧のあり方を体験しているものにとっては、ごく常識的である。

 つまり、ヤマセの影響で三陸沿岸、北上高地では夏到来と言えない時でも、岩手県内陸部は夏到来と宣伝できる情況になり得るのである。

 梅雨明けという大きな気象現象でも、岩手県を一括りにできない。中央発の気象庁長期予報の危うさは、「科学」の危うさとともに、ローカルを見通せない危うさでもある。

 暑い夏、冷夏と変更した気象庁予想を嘲り笑うように猛暑になり、セミの大発生となったが、そのことは、全くセミが鳴かなかった平成五年の冷夏を思い出させた。
 その年は、秋彼岸前に気候が回復したわずかの間に数匹のミンミンゼミが鳴いた。数日で連れ合いを見つけ出せるか心配し、このセミをかわいそうに感じたものだった。

 しかし、樹木葬墓地に着手して十数年。動植物の生態を以前より意識的に見つめてくると、季節はずれのセミの持つ重要な役割がいくらか理解できるようになった。

 孟蘭盆でなく秋彼岸に孵化したセミは、季節を間違えた「バカなセミ」ではなく、季節変動に対応して種を維持するため欠かせない存在であったのである。この年の夏に孵化した多くのセミは寒さのあまり子孫を残せないで死んでいっただろう。

 自然界の大きな変動に対応して種を残すためには、「変わり者」が必要ということは、同じ地球上に生きるホモサピエンスのあり方に示唆を与える。

 このように、宗教的な意味づけをせずとも、生態学的観点でも、人間界の「弱者」を大事にすべきことは明瞭である。しかるに、最近は「市場万能主義」の拝金主義がまかり通り、社会的弱者を軽視する風潮が強い。地域のあり方でも、大都会だけが栄え、地方は切り捨てられていく。一極集中は、種の問題に置き換えると、富栄養化が進み、多様な山野草が生えなくなり、少数の植物が占有する里山に楡えられる。このような情況は「美しくない日本」と言えよう。

 私たちは高齢化の進展と共に、誰もが弱者になる時代を迎えている。弱者の立場から、「美しい日本」という言葉が聞こえるようにしたいものだ。


樹木葬通信 2007年9月1日発行 VOL39より




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