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湿地保全運動の挫折


 住職 干坂げんぽう

 今年は平泉の歴史遺産がユネスコ「世界文化遺産」に登録される可能性大として、岩手県が熱心に「浄土思想」を学ぶようPRしている。これは既報でも述べたが、事前調査の機関「イコモス」が、住民にどれだけ浄土思想が浸透しているのかを尋ねたことによる。単に仏教遺跡というのでなく、浄土思想が創りだした遺跡という売り込みをしたため、イコモスの質問となった訳だが、ここをしっかりケアしておかないと指定に支障が出ると睨んでの岩手県の対応なのであろう。

(1月)カンジキ体験で道案内する千坂住職
 このような対応に異をとなえる必要はないが、それだけで終わっては税金の無駄遣いというものであろう。奥州藤原氏栄華の跡、平泉の遺跡、遺物について学ぶことが「浄土思想を学ぶこと」ならば、歴史を学ぶことと異ならない。そこでは、平泉は遺跡のある土地、中尊寺・毛越寺は遺物との位置づけにしかならない。

 むしろ、今問われているのは、藤原氏が平泉のどうような景観に浄土性を見たかと言う点である。それを知るためには、かつて藤原氏が感じた世界がどのようであったのかをイメージするカが必要である。また、浄土をこの世に現したいという願いをかなえるための経済カと軍事力はどこから生まれたかを自分なりに藤原氏の住まいに立って考えることも必要である。

 この二点がどうも、等閑(なおざり)になっている。さらに言えば、藤原氏がチャレンジした「この世界の浄土」を再現しようとする地域づくりの声が出てこないのも問題であろう。

 金色堂、毛越寺の庭園など、「東北王」たる権力者の造ったものを再現することは、岩手県レべルの経済力では困難である。そのような事情を知るからか、住民サイドは、現代の「浄土」を造ろうとしない。浄上性は絢欄(けんらん)たる伽藍がないと駄目だと自分たちで決めつけているのではなかろうか。

 束稲山(たばしねやま)から登る月が平泉館(ひらいずみのたち)の池に映る初夏、そこにはホタルが群舞していたかもしれない。また、金鶏山(きんけいざん)に夕日が沈む春・秋の彼岸に無量光院の池は黄金色に染まつたであろう。素晴らしい景観の中にある建築物だからこそ浄土を感じさせるのである。権力者が選び取った上地は、伽藍が無くとも景観に優れていることを肝に銘じるべきである

 このように自分たちでも出来る「この世の浄土づくり」を志向しないことは、経済、軍事に適した土地であったことを理解しないことにも通じる。

残存湖から北上高地方向を臨む

 平泉、一関地方は、奥羽山脈から延びる磐井丘陵帝が北上高地に続くために、北上川が出口をふさがれ、急に川幅が狭くなるため、洪水常襲地帯となっている。この大湿地帯は平泉の防御に貢献しただけではない。運輸の面から言えば、ここは石巻に続く北上川航路の第二の港としても重要だったのである。人を阻む地理的条件は軍事的防御の面だけでなく、運輸の拠点としても働くのである。

 今、この重要な大湿地帯が岩手県の土地改良区事業で姿を消そうとしている。私が提唱した旧磐井川による残存湖を保存するようにとの願いも簡単にお払い箱となった。歴史的な遺産を作った自然は、その母体となった故に歴史的な意義を持つ。それを無視する行政に遺産を云々する権利があるのだろうか。

 残存湖の消滅は平泉文化の成り立ちを示す証拠を消滅するに等しい。このようなことを許すカの前で、私は誓った。「久保川のことをやるしかない」と。




樹木葬通信 2008年3月1日発行 VOL42より




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